父の死とうつの悪化。
昨年11月、父が亡くなりました。
私は病気のきっかけが家族との交流なので、お葬式などはドクターストップ。
叔母にはその旨話してましたけど、親戚を含め、みんなかどう感じたでしょうね。親不孝なバカ娘、とか言われてるかもしれない。
父は晩年食欲が落ち、自分で食べることができなかったそうです。
そんな父に母親は胃ろうまでさせて延命させてました。
胃ろうって知ってますか?
鼻か口にチューブを通して、栄養素を注入するんです。それは結構本人にはきついもので、よほどのことがない限り、医者も胃ろうはあまりすすめません。
私は介護の仕事をしていたことがあるのですが、そこに入所されてた方も食事が取れなくなってしまっても、先生は『胃ろうをしてまで延命するのは…』と断って、栄養剤の点滴をしていました。
そんな苦しい胃ろうまでされてたなんて。
すごく怒りがこみ上げてきました。
あれは、私がまだ30代前半の頃だと思います。
お正月に帰省した時に、突然母親が用紙を差し出し、これに同意のサインをしてくれ、と。
内容を読むと
『もし甲(この場合、父親、母親)が生命の維持が難しいと判断された場合、乙(つまり私)は、それ以上の延命はせず、治療を中断することに同意します』 と書いてありました。
正月になんてこと決心させるんだ、こいつらは!
と怒りと悲しみで、泣きながらサインをしたことを覚えています。
なのに母親は結局胃ろうをさせてまで父親を延命させていました。
なんだか怒りを通り越して、どこまで自分勝手なんだろう…、と虚しくなりました。
そんな気持ちを抱えた新年。
当然喪中ですから、大したこともせず、食事も普通のものを作って食べていたのですが、2日に夕飯を作ろうと包丁を握った時
あ。死のうかな。
って思ったんです。真面目に。
でも、右腕を切ったらいいのか、左腕を切ったらいいのかわからなくて、Google先生にきく気力もなくてやめました。
それから一気にうつが悪化して、会社にも行けなくなり、初めて近所に住んでいる友達にすぐに食べられるものをいくつか見繕って持ってきて、と頼みました。
当然会社に行くことはできず、そのまま2ヶ月の休職になりました。
私はまだ父親がなくなってから、泣いていません。
寂しさもわかないし、お葬式に出なかったことを恥じてもいません。
なんの感情も湧いてこないんです。
父親は仕事が忙しく、単身赴任や出張などで、家族との時間が全く取れない人でした。私のことを名前で呼んだこともありません。いつも「おいむすめ」と呼ばれていました。
多分彼はいろんなことが恥ずかしかったんだと思います。
父親は兄弟の多い家庭の長男として育ち、中学を卒業するとすぐ働きに出されたそうです。
ですが、もともと頭が良かったのでしょう。どんどん認められるようになり、昇格もし、会社を定年退職する頃には子会社の社長や、親会社の重役についていました。
そのがんばったことを誇りに思ってもいいはずなのに、やはり周りは大卒ばかりの状況だったので、自分を大きく見せるのに精一杯だったんだと思います。
彼は彼なりに大変で、それを受け止めてくれて、慰めてくれる人がいなかった。そういう人でした。
私は自分の家のお墓がどこにあるのか知りません。
女は家を出るものなんだから、墓の場所は知る必要がない、ということで。
だから、墓参りもしません。
私は毎晩家の玄関の近くに小さなお線香立てをおき、遺影の代わりに父が大好きだったまあたんの写真をかざり、お線香をあげています。
それが私の今できる精一杯のお弔い。
未だに包丁は持てません。
だから、夕飯はカット野菜を使って炒め物か、レンチンのパスタ。糖質制限をしているから、ご飯のおかず、というのを作る必要がないので、包丁がなくてもなんとか食べれてます。
いつか、包丁が持てる日がくるのかなぁ。
その時には、父親に対して泣くことができるのかなぁ。
そう思っています。