お線香をあげるということ
父親が亡くなって1年が経ちました。
生前の父とは会話らしい会話はしていません。
とても忙しい人だったし、家族との接し方がわからない、というような人でしたから。
前にも書きましたが、わたしのうつ、パニック障害の原因は
家族全部
なので、父親が亡くなった時もお葬式等には行きませんでした。
わたしは父親、母親双方の親戚とはほとんど会わせてもらえなかったので、参列したところで誰かもわからないし、わたしにはわたしの弔い方があると思ったからです。
父親が亡くなって以来、体調が悪い時以外は毎晩夕食時にお線香をあげています。お線香は亡くなった人のご飯になる、と何かで読んだことがあるので。
ごくごく最近ですが、ふとした時に父親に話しかけている自分がいることを発見しました。
生きているときは会話なんてなかったのに、亡くなってから話をするなんてね。
わたしの心の中の世界で作り上げた父親は、よくわたしに話しかけてくれます。わたしもそれに答えたりします。
ああ、こういうことがしたかったのかなーと。
そう思ってから、父親に対してお線香をあげる時には、母親にそうゆう呼び方はするな、と固く言われていた
パパ
もしくは、
パピー
と呼びかけています。そして、少し心の中で話をすると、パピーが笑ってくれているような気がするんです。
お葬式っていうのは、ただの儀式。
お墓も戒名も関係ないと思っています。
大事なのはその人を忘れないで話ができているかどうか?ということなんじゃないかとわたしは思います。
パピーと呼べるようになってから、父親に対しての固くなっていた心が少しだけ軽くなっている気がします。
わたしの中の何かの感情が溶けたのかもしれません。
だからといって、じゃあ実家に行って家族と父親の話をしたいか?と聞かれたら絶対無理。
されたこと、されなかったことを溶かすことは容易ではありませんからね。
でも、お線香の香りを嗅ぎながら、パピーと会話をするのは、たのしいかもしれない、と思ううつ餅です。
また、少しだけ階段を登れたかな?